東京歯科大学卒
東京歯科大学千葉病院 臨床研修医
平成29年3月卒業
平田 吉敬 先生
身内に歯科医師が多くて、自然と歯科医師を目指していました。
祖父、祖母が歯科医師をやっていたのと、叔父が京都で口腔外科をやっていました。そういう環境にいて、話を聞く機会が多かったからだと思います。
父は医者です。姉が一人いますが、姉も医者です。
姉が医者をやっているなら、僕は歯科医師の方がいいかなと・・・。しっかりした動機ではないです(笑)。
祖母には可愛がられていたので、よく歯科医師の仕事について話をしてくれました。今、89歳です。その当時、女性の歯科医師は珍しかったと思います。戦争中の話とかを聞いて、すごく大変だったな、と感じました。
部活や遊びなど、何もしませんでした。成績に不安があったので、必死で勉強をやり続けました。
少し歳をとってから大学に入ったので、身につくのが遅いのではないかと思っていました。
実は高校を出てから5年ほど空白期間がありました。だから、大学に入ったのが遅かったです。就職もせず、進学もしませんでした。何もする気が起きず、少し時間を無駄にしちゃいましたね。
大学入ったのは23歳です。高校時代の同級生たちは、もう大学を出て社会人として働いていました。
大学に行こうと決めてから、5年の空白期間のうちの最後の1年は勉強しました。
だから、最後の一年は受験生だったかもしれませんが、私の中では受かるまでは一緒でした。勉強自体は嫌いではありませんでした。「ただやってなかった」だけです。
大学は一発で合格しましたが、歳をとってから入学したので遅れをとらないように、入学したら最初から真剣に勉強しました。
大学受かってからは、6年間ずっと同じくらい勉強していました。必ず4、5時間は机に座っていましたね。
国家試験の頃を一番覚えています。
成績が不安定になってきていた状態で、最後は「落ちたくない。落ちたくない。」と必死になっていて、本当に辛い状態になるまで勉強をしていました。
結局一発で合格できました。同じ頃の卒業試験も一発で受かって・・・。
「なんだ?これは?」と自分の中で、今までにない大成功を収めた気持ちになりましたね。
国家試験と向き合った時間が、一番の思い出です。5年の空白期間中には考えられない、凄い高揚感でした。
6年生の頃は、朝7時半くらいに起きて、学校へ行っていました。
朝8時から講義がありました。午前中は、講義を受けて、午後にグループ学習がありました。それが大体、夕方4時くらいまででした。その後に自習室で夜10時くらいまで勉強していましたね。
それで帰って寝る生活。だから、講義以外で、7時間くらい勉強していました。
起きている間は、勉強していましたね。食べるか勉強しているかです。あとは睡眠時間でした。
一度、映画に行きましたね。本当に、もう何もかもが嫌になった時でした。
ちょうど、スターウォーズの公開時期で、観に行きました。夜中の11時ぐらいからのナイトショーでした。
映画館に行くのは少し後ろめたかったですが、勉強でストレスが溜まっていました。ストレスがピークになり、「もう嫌、とりあえず休ませろ」という感じになり、息抜きをしました。
良い気分転換になり、すっきりしました。
追い込んだ方がいいと思います。
ギリギリまで追い込んで勉強して、スターウォーズを観に行ったのは、10月15日でした。公開直後に観に行っているから、国家試験の2か月半くらい前でした。いい時期に一度ガス抜きできたのかもしれません。
我慢するも大事ですけど、我慢し過ぎるのはダメだと思いましたね。
これは頑張ったからって言えますね。自分の中で1番頑張ったと言えるくらい頑張りました。
人生で一番やらなきゃいけない時期でした。
小児歯科が苦手でしたね。「これも大事、あれも大事」というように覚えることが多すぎて、それで苦手でしたね。
同期に小児歯科が得意な人がいて、その人に相談しました。
「基本的な、あいうえおレベルのことから教えてくれ」って頼んで、その基本的な内容だけをやるようにしました。
そうしたら、小児歯科の難しい問題も、それなりにできるようになってきました。
そうですね。アルファベットを知らないで単語を読もうとしても無理。
基礎が固まっていなかったので、苦手だったのかもしれません。
得意科目はなかったですね。「これが得意」というよりも、できるだけ全部の教科に差がないようにしました。
いくら口腔外科ができても、小児歯科が全然出来なかったら意味がないと考えていました。
すべての科目で、まずは平均点を目指していましたね。
良かったですね。勉強委員という成績上位者が何人かいて、その人たちのところに集まってグループで勉強します。
元々、勉強委員とは仲が良かったので、その人に勉強を教えてもらいました。
勉強委員の言っていることは大事なことばかりで、余計なこと考えないで彼の言っていることを信じて勉強しました。そうしたら平均的な状態からドンドン成績が上がるようになりましたね。
1対1でしたね。でも、グループ学習の方が少し多かったと思います。
ひとりで勉強する時は、確実に理解できた内容を復習していました。グループ学習で、十分に理解できていない内容をしっかり理解して、その後に個人の勉強で復習をしていました。
東京歯科大学はホテルに泊まって、集団で試験会場へ行きます。全員、東京ドームホテルに宿泊しました。
ホテルで繰り広げられる情報戦(笑)。ひたすら情報を集めていましたね。
「問題作成があの大学の何々先生だから、出題はこの辺?」といった情報です。「こんな問題が出る?」みたいな話をひたすら集めていました。
そこを復習して、よく分からない問題は、もういいやって捨てちゃって、とりあえず分かるところは確実にとれるように復習しました。入ってきた情報で、わかる問題は特にしっかり復習していましたね。
ホテルで、ひとりで過ごしました。
ホテルの部屋から色んな人にLINEで連絡をとり、情報収集をしていました。ホテルのバーに行っている人もいましたが、私はLINEで情報を集めていました。
受けた直後は「なんだ?これ?」っていう問題もありました。
周りから聞こえてくる、なんか明らかに違う答えの話を聞いて「あれ?」って感じることもありましたが、それをあまり耳に入れないようにしました。
水道橋の校舎に行って自己採点をしたら「まぁ、これは大丈夫かな?」と感じました。
「わーい!」っていう感じではなかったですね。「あ、うん、OK、OK」みたいな感じでした。
画面のスクリーンショットを「大丈夫でした」とコメントを添えて送りました。それだけでした。
半日ぐらいしたら「おめでとう」とだけ返事がありました。
自己採点のときに、自己採点を送って「大丈夫じゃないか」って言っていましたから、安心していたんだと思います。
患者さんが多くて、雰囲気がのびのびしているからです。
患者さんが多いと勉強になります。患者さんとの触れあいの回数、経験値が増えますからね。
総合診療科で自分が患者さんを持って診療していた時に、「治療の前と後で患者さんは変わる」と実感しました。元気が出てきて、表情や全体の雰囲気が変わります。
入れ歯を直した患者さんの例で言いますと、入れ歯が壊れてきた状態でやって来た時は「この人大丈夫?」というくらい元気がありませんでした。でも、2週間くらいして入れ歯を完全に治したら、別人かと思うくらい元気になりました。
この時は「歯科医師をやっていてよかった」と思いましたね。
教科書通りにいかなかったことです。
教科書通りにやっていても、「痛い」って言うタイミングが、患者さんによって違います。そのような時に「対応を変えるには、どうしたらいいのか?」と悩みました。
スケーリングをしていて、何にも反応しない患者さんもいるけど、嫌そうな顔をする方もいらっしゃいます。患者さんによって、結構、違いがあるので、注意が必要です。
大学院に進みます。IPS細胞の研究に携わりたいと思って決めました。
大学院の後は、地元で小さい医院を開業できたらいいなと思っています。ただ研究をしたかったので、親に頭を下げて「もう4年間勉強させてください」とお願いしました。
就職は34歳になりますね。親に感謝しないと。5年の空白期間がありますからね。
今、勉強していることを、とりあえず続けてください。集中できる場所と時間を選べば、継続できます。
自分にフィットした場所で、適切なアドバイスがもらえる環境で、長時間集中して勉強できるなら、完璧です。たとえ短時間でも、しっかり集中できるなら、大丈夫です。
自分にあった環境や、自分が集中できる環境で勉強を続けて、成績が上がっていくことを維持して欲しいです。
何をやっても上手くいかない時ってあると思います。そういう時はやらない。
本当に集中できそうなら、自分に合ったやり方で勉強を続ける。
無理し過ぎない程度に、無理をするといいと思います。「今日はこれくらいでいいや」と思っても、もう少しだけ勉強をすれば、それが積み重なって成績が上がっていくと思います。